火 - 3月 31, 2009

ねこつみ


ネコをスタックするスタック。

iPhone/iPod Touch用に「つみネコ」というおもしろげなアプリが出てまして、自分はiPhoneもiPod Touchも持ってないので(Touchはいーかげん買おうと思ってますケド)残念ながら未ゲット未体験なのでありますが、ふと、そーーいえば昔、似たようなものを作った記憶が甦ってきましたよ。

昔、Apple Macintoshには、HyperCardとゆーべらぼうに素敵なソフトがありまして、自分はそこで動作するソフト(スタックと呼ばれていました...って、説明しなくちゃ伝わらないマック事情に若干泣きつつ)をもりもりこさえて、コミケとかで売ったりしてました。その中に、テトリスみたいな画面の中で、上から猫をぽとっと落として積み上げ、その積み上がった様の芸術点を競うとゆー、かなり意味の分からないゲーム(なのか?)がありまして、その名前が「ねこつみ」でした。

なかよし連載だった「きんぎょ注意報!(猫部ねこ)」(学園マンガがどんどん牛マンガになっていくところが凄かった)で、一瞬出てた「ねこを積んでた絵」にインスパイアってゆーか、これをソフトで表現せねば!と思い、当時の落ちゲー「テトリス」のスタイルで構築しましたよ。芸術点というのは、ナムコのパックマンが主人公だった「不思議が素敵」な横スクロールアーケードゲーム「パックランド」でラウンドクリア時に採用されていたアーティスティック・ボーナス(パックマンのポーズによって入るボーナス点が変わるとゆー微妙によく判らないシステム)の考えを元にしてます。点数算出の計算方法をどうすべきか、いろいろ考えたなぁ(てゆーか、暇だったなぁ)。

今でも昔のMOのどこかに入れてあるはずなんだけど、MOドライブがないから発掘できませーん。
昔のマッキントッシュを並べて、ハイパーカードのスタックたちを展示する「スタック展」とかやったら面白そうだな。

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土 - 6月 28, 2008

アップル的シールアイテム


出てきやがりましたよ。

うちのシール入れからどさどさとアップル的シールアイテムが出てきやがりましたので、さくっと写真を撮りました。うちは、本棚とかいろんなところに手を入れるとアップルシールが出て来るとゆー怪現象が起きることがよくありましたが、あれはきっと全国民の本棚がAppleTalkで繋がっていたんぢゃないかと思うわけであります。RS-422だったなぁ(なんだそりゃ)。



Posted at 03:24 午後     Permalink  

木 - 6月 26, 2008

Anytime, Anywhere


anytime過ぎってゆーーか。

ふと、お財布にこんなテレフォンカードが入っているのを発見しました。
まーテレフォンカードを使う頻度とゆーーのが、そりゃもーまるで全然ナッシングな携帯時代の僕らなわけでありますが、それにしてもApple MacBook Air とか売ってる時代にMacintosh Portableってどーーよ??みたいな。てゆーか、anytime過ぎってゆーーか。1989年発売のアップル初のポータブルマックですよ、白くて素敵なデザインでしたよ、6キロオーバーだけど(笑...って、今頃笑うな)。アップルで一番素敵なコマーシャルフィルムを作ってもらったマシンですよ。昔、某誌で編集部にあった動かなくなってるPortableを直すネタをやろーとして、全くダメで2回連載のはずが1回で終わった(汗)とゆーー素敵な想い出もあるマシンですよ。





一体どーーゆーー家なんだ!!と驚いていたら、そんなのいくらでもあるよ、と出て来たうちのいくつかがコレ。色味を消したクールテイストなデザインがイマドキっぽい時代でありますが、やっぱ今でもアップルといえば6色林檎のポップなロゴマークがパッと脊髄反射で脳に浮かぶ自分でありますよ。ベージュ、プラチナホワイト、レインボーアップルって、For the rest of usに対する暖かい接し方とゆーか、ユーザーフレンドリーの態度みたいなところを具現化したカラーだったかもしれないなとか思ったり。

 


Posted at 12:24 午前     Permalink  

土 - 3月 8, 2008

あいつもインベーダー


インベーダーの想い出、ぱーと2みたいな。

インベーダーネタを書いていて、突如思い出したよ。その昔、Macintosh専門誌がいろんな出版社から出ていた頃、そー、マルチメディアの時代に、マルチメディア業界対抗バンド合戦とゆーイベントがありました。で、技術評論社「マックブロス」の即席バンド「ジョー94」として参加して、演奏した楽曲が「ジョー90のテーマ」、そして2曲目が「あいつはインベーダー」。

後ろの魔窟本棚を探したら...当時の台本がでてきました。1994年11月2日、NISSIN POWER STATIONですね。クラフトワークからディーボ、ハードフロアーまで約3万曲のレパートリーから、マキ上田の「あいつはインベーダー」を選びました...って書いてあるよ(笑)。自分はイシバシテルミンで出ました。テルミン...なんだけど、発振させたままダイヤルねじねじして発狂ノイズを出しまくるだけとゆーありえない演奏というか行為でした。テルミンブームの今、これをやったら失格モードだろーなぁ(いや、当時もそーだろ、笑)。





Macintoshとゆーつながりだけでこんなイベントが開催されるとゆーー、メーカーとユーザーの間に存在するメディア業界に元気があった時代で、ちょっと元気過ぎだったかもだけど、これって凄く面白い時代だったかもしれないなぁとか思ったり。



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Posted at 01:58 午後     Permalink  

火 - 2月 5, 2008

ウイルスシール発掘


コンピューターウイルスが面白かった頃の話

たった今、「謹製ウイルスシール」なる物体が発掘されました。
たぶん日本で最初のMacintosh専門誌「MAC+ CYBER」で連載をやってた頃に作った紙シールで、モノクロビットマップなイラストシールであります。読者がコンピューターウイルスが入ったフロッピーディスクを送ってくるとあげるとゆー、今考えると相当アレな企画だったと思います。Macintosh用のコンピューターウイルスが出て来た頃の話で、そんな感染しちゃってることが発覚してがっかりしてるユーザーちゃん救済とゆーか、ネガティブな文化すら面白がってしまおう的な、まーある意味平和な時代だったかもしれません。ウイルスといえば、それから数年して、故アサヒパソコン誌で「コンピューターウイルスを飼う人」ってことで匿名インタビューを受けたりなんてこともあったなーとか思い出したりなんかしちゃったりして。それにしても、そんな何十年も前のシールがどさどさとでてくるウチの魔窟っぷりもただものぢゃーない気配なんだけど、Newtonとかレインボーアップルとかのシールも不意打ち的にどかどか出て来たりして、どっかおかしい。



Posted at 11:51 午後     Permalink  

日 - 10月 14, 2007

人生、宇宙、すべての答え = 42


残っているのはバッジ1こだけど。

Googleの電卓機能の凄い秘密(?)として有名な、「人生、宇宙、すべての答え」を瞬時に計算してくれる例のアレ(元ネタは「銀河ヒッチハイク・ガイド 」)ですが、古いマックユーザーとゆーか古いゲームラヴァーズな人は故インフォコム社のテキストアドベンチャーを瞬時に思い出しちゃうとゆー凄い想い出機能を備えていることと思うわけであります。てゆーか、テキストアドベンチャーって何?みたいな近代ゲーム史忘却編みたいな状況か?とも思いつつ、当時のマックユーザーは海外からゲームがやってくれば何だってやったもんなんだよ!!みたいな。

で、インフォコムのテキストアドベンチャーってば、当然モニター画面には文字しかでませんよ、フツー。絵も音も一切全くでません。もー完璧な静寂っぷりに、アドベンチャーゲームとはこんなにストイックなものなのか!!さすがMIT発みたいな、わけのわからないカッコイイ電子計算機応用分野に惚れ惚れとかしながら、こっちも負けずにクリアに挑むぜ!!...なんてもー全然無理。こんな超絶英文攻めにもー全然追いついていけません、完全敗北!!なんてあの頃を思い出しちゃったりなんかしちゃったりして、そんなテキストオンリーだったゲームですが、パッケージはフロッピーディスク1枚...ではなく、豊富なおまけがついていました。テキストとゲームのヒントになるおまけのガジェットとゆー舶来ゲームパッケージの素敵センスはやっぱ相当カッコ良かったなぁとか今でも思いますよ、ええ。

で、インフォコムのゲーム「銀河ヒッチハイクガイド」にもおまけがてんこもりでついていたんですが、かけると見えなくなるメガネとか、空気(え??)とか...で、今唯一手元に残っているのが「DON'T PANIC」のバッジ。「あわてない」...なんかもー、これこそが人生の答えかもしれないなと思っている自分であります。


人生、宇宙、すべての答え - Google 検索
answer to life the universe and everything - Google 検索






え?映画になっていたの?全然知りませんでちた。(かなりダメ)

銀河ヒッチハイク・ガイド


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4 開始10分で地球が爆発します。

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日 - 6月 24, 2007

ティモシー・リアリー先生のサインとMacintosh Museum


神経政治学 meets Macintosh

先日、お友達と話をしている中で、故ティモシー・リアリー先生のサインを持ってることを思い出し、本棚を探ってみたらまだ残っていましたよ。これ、1991年に渋谷(スペイン坂を登ったところ、今の映画館のところですよ)でやった、「歴代マッキントッシュからコンピューター・カルチャーを俯瞰する」とゆーコンセプトなイベント「Macintosh Museum」をやったときにいただいたモノ。えと、同名の書籍が2004年にアスキーから出ていますが、それよりも10年以上昔のことであります(もちろん、この書籍とイベントとは関係ありません)。歴代マックを展示...と思いきや、時代の遡りっぷりは容赦なくエスカレートし、LISAやApple IIやApple III、そしてとーとーパーソナルコンピューターの源流としてXerox Altoまで展示しちゃったとゆー、なんつーかもープチ・スミソニアン博物館状態(そこまで言うか?)な無茶っぷりをぶっこきまくった展示イベントでありました。そこで関係者向けイベントにゲストスピーカーとして呼んだのが、サイケデリック・カルチャーの要注意人物...もとい超重要人物、ティモシー・リアリー先生。コンピューターとサイケデリック・カルチャーの相関なんてのは今更書くまでもなく、猛烈に関係ありまくりなわけでして、ティモシー・リアリー先生もApple II用にソフトを出しちゃったこともありまして、なんつーかそんな接点の猛烈キーパーソンとしてのゲスト参加だったわけであります。

ついでにそのときに作ったパンフレットも出てきまちた。残っているもんだなぁ。アップルやマッキントッシュに関わってきた人々のメッセージが、これまた貴重な写真とともに載りまくりのパンフでして、自分もMacintosh Plusの項に記事書いてまする。このパンフ、代官山で写真を撮りまくったんですが、自分は初代Macintosh、Macintosh 128K、Macintosh 512K、Macintosh Plus、その他素敵かつ困りまくりな周辺機器を持ち込みました(そう、名誉館長な人が出したわけではないのよ)。その辺の写真は全部服部の所有物で、自分のマック達が奇麗に写真撮られるのはなかなかイイ気持ちでしたよ。表紙は自分は初代Macの箱みたいな、もっとポップカルチャーを感じるものにしたかったんだけど、イベントの総指揮隊長だった斎藤由多加さん(後のシーマンの中の人...なんて紹介ぢゃダメ?)に、もっと歴史的な重みを感じるデザインにしたいと言われて真っ黒くなったんだよなぁとか、そんな10年以上前のことを思い出しました。懐かしい。

そして、なんとそのパンフの写真撮影をしていたときの、ポラロイドも発掘されました。本ちゃん用撮影の前にいろいろテストを兼ねて撮るポラロイドで、まーフツーは捨てられちゃうわけですが、それを自分が貰っておいたんだよね。これは世の中に1枚しかないわけですが、そんな重みを感じるでもなく、他の資料とかに混じってとっておいてあったぐしゃぐしゃの本棚も、ちょっと素敵かもなぁとか思ったり。











そーそー、マッキントッシュミュージアムとして撮影したLISAやXerox Altoの写真は、アスキーの書籍「アラン・ケイ」にも使われています。資料室に「写真提供:マッキントッシュ・ミュージアム」ってあるもんね。写真を撮られたAltoはその前まで倉庫に眠っていたんだけど、このイベント以降、ちゃんと神奈川サイエンスパークにある富士ゼロックスの展示ブースに飾られるよーになりました。めでたしめでたし。

Posted at 07:46 午後     Permalink  

木 - 5月 3, 2007

Magic Capのバッジが不意に


バッジって意思表示のツールだよね。

今日、何年かブリにかぶった迷彩帽についていたバッジが今は亡き「MagicCap」でしたよ。わけのわからないところからアップル関係の有象無象が発掘されたりする自宅でありますが、なんか久々に見たね、この帽子からウサギが出て来るロゴ。アップルのQuickDrawやらハイパーカードやらを猛烈に開発しまくった天才プログラマ、ビル・アトキンソン先生が設立したゼネラルマジック社で開発された、PDA用オペレーティングシステムですね。モノクロビットマップなデスクトップ・メタファーってやっぱとてもかっこ良かったかもーとか思いつつ、それより今となって素敵だなぁと思い出すのは、当時のジェネラルマジック社のオフィス風景。オフィスにウサギが放し飼いですよ!!とんでもない発想をする人々のオフィスってば、やっぱとんでもなく羨ましい。生きたデザインは生き物と一緒に生み出されるものなのかもなぁ。こっちも負けずにリクガメをオフィスに放つべきか?(やめなさい)




Posted at 07:29 午後     Permalink  

火 - 10月 24, 2006

マックブロス オア ダイ(続報)


てゆーか今、誰が読むのか??

えと、今は亡き(超絶とっくに亡き)ちょっぴりアナザーなMacintosh専門誌「マックブロス」の想い出みたいなテキストを書いたムック誌がやっと出るそーーです。毎日コミュニケーションズ刊のMacJack Vol.7です。当初、懐かしのマック雑誌特集みたのをやるとゆーーことで、メールインタビュー1問1答みたいのを受ける感じだったのですが、当時のブロスはこんなだったよぅ...みたいなテキストをむっしんむっしん書いたらそれが採用ってことで、結局「てゆーか今頃、ブロス・オア・ダイ(既にダイですけど)」みたいな感じの原稿が掲載されることになっちゃいましたよ、ええ。10月末に発汗...もとい発刊されるそーーですので、なんだかなぁとか言いつつ待て。

MacJack


MacJack vol.7 (2006) (7)
MacJack vol.7 (2006) (7)
posted with amazlet on 06.11.02

毎日コミュニケーションズ

Posted at 09:49 午後     Permalink  

木 - 9月 28, 2006

マックブロス オア ダイ


1994年だったかぁ。

先ほど、某Mac系雑誌に故マックブロスの想い出みたいなテキストを書きましたよ。マックブロスって何だよ?とか言うイマドキのマックユーザーちゃんも、そーでない人もこっそり見かけたらこっそり読みなさいってばもーー。

それにしてもKidPixとかIBVAとかMacRecorderとか出てくる単語1つ1つに解説が必要なくらい時代が経っているんだなぁ...ってゆーか、Mac雑誌作ってる人でももーブロスとか知らない世代なんだなぁって事実にあらためてびっくりとかしてる自分でありますよ、ええ。

Posted at 11:36 午後     Permalink  

土 - 4月 1, 2006

Macintoshを買った頃


for the rest of us

なんか使用歴が長いだけのマックユーザーの昔話って、話題から文化の変遷みたいのが見えてくるわけでもなく、古きを尋ねて新しきを知れるほどの気付きもなく、古いってだけで先輩風ふかす不要な年寄りみたいで退屈すか?自分は退屈です(笑)が、30周年らしーーので書きます。昔はこーだったんだよなぁーてなロートルユーザーのまるで信用ならないあやふやで曖昧な記憶の上にのみ存在する昔話を聞かされちゃったときは、「あーそーですか、で、HFSとMFSって何が違ってたんすか?Puppy Loveって最後はどーなるんすか?」とか適当にうなずいて適当に質問しておけばいーと思います。久々なのに相変わらずイントロが無駄に長いか?長いな。

えと、今回は自分が最初にマックを買ったときの話。たぶんどこにも書いたことない内容だけど、だからといって別にどーってことないネタだし、まーいーや(なんだそりゃ)。当時、某会社の寮に住んでいて、数人のお友達でMSXを買って遊んでた、いー時代でした。当時、いろんなコンピューターメーカー、家電メーカーがマイクロソフトやアスキーにだまくらかされて...いや、提唱してた共通仕様であるMSXに対応したパソコンをどんどこ出してた時代でした。言語はBASICが動いてました。日本の(いや、世界でも)コンピューター・ユーザーのほぼ全員がプログラムを書く時代だったわけで、そーゆー意味ではイマドキよりも格段にコンピューター・リテラシーが高かったかもしれない時代でして、しかもプログラムを書く原動力がゲームだったりする確率も非常に高く、そーゆー意味ではイマドキよりもゲームが知的モチベーションに与える影響も大きかったりするかもしれない時代でして、なんつーかゲーム脳最高ってゆーか、まー日本の誇れる文化がゲームとアニメしかないってゆーか、これだけあれば十分てゆーか、そんな日本文化のベーシックな部分をBASICが支えてたとか言い出すときりがない時代だったってなわけです(ほんとかよ?)。で、誰かがどこかのMSXマシンを買うと、別の誰かは別のメーカーのMSXマシンを買って、性能差(搭載メモリの違いとかね)とかそれぞれの付加機能をみせっこして喜んでました。ちなみに自分は三洋電機のライトペンつきのを買いましたよ。で、ギャラガとかを永遠にやってたりして遊んだりしてました。そのころAPPLE(もちろん日本に会社はなし)はAPPLE IIを出してまして、まーパソコン界のロールスロイスとか言われてたわけで、もちろんそんな高級機種が買えない国民なのでMSXを買って喜んでたわけですが、そんなある日、お友達がパソコン雑誌を持ってきて、アップルから安いコンピューターが出たよみたいな事を言ったわけですよ。今も昔も相変わらず新型機種が出る時期になると、各社新型機種一覧みたいのが出てるアレに、MSXとかと混じって出てたのがMacintosh。あ、白黒だから安いの?...って、まー値段を1桁間違えてるわけですね(馬鹿)。で、MSXにも普及しだしてた当時最新鋭の3.5インチフロッピーディスクもついてて、さらに当時NEC PC100とかにも付いてた面白そうなデバイスであるマウスが付いてて、しかも画面がゲームちっくで面白くて、なんとなくワクワクしちゃう感バリバリで、なんとなく面白そうな予感がしたわけデスよ。

会社帰りに本屋さんに寄り、アスキー出版局から出たばかりの「Macintosh そのインテグレーテッドソフトの世界」ってな本を買って読んで、ハードと基本ソフトとアプリとがインテグレーテッドされてるシステムであることを知って、電源の入り切りからFinderの基本操作、Mac PaintやMac Writeの使い方とかを理解して(これだけで全てが出来る予感がしたですよ)、フォントがたくさんあったり、さらに追加削除ができたりするってとこにビックリしたり、そんな予備知識全力装備で(といっても参考書籍これしかなったもんね)、秋葉原に向かい(当然、アップルストアなんてーところはなく、アップルコンピューターを扱ってるのは日本ではごくごく一部のマニアショップにしかなかった時代でありますがな)、当時の細長かったイケショップに繰り出したわけでありんす。

かくして、初代Macintosh、カナキーボード、カナシステムを2年ローンで持ち帰ることになったとゆーー寸法でありますよ。

Posted at 12:51 午後     Permalink  

水 - 11月 16, 2005

なんとなくアップルグッズ


懐かしい小物編

某所のアップルロゴな小物見せっこコーナーに載せたので、ここにも載せておくなり。
ハッピーマックなアイコンの腕時計と、レインボーアップルなエンブレムのクロス・ボールペン、あとネタ的にNeXTエンブレムのクロス・ボールペン。
薄暗い部屋でディスプレイの明かりをバックに撮ったので、非常に見にくくてしゅまん。
ボールペンは他の筆記用具と一緒に放り込んであるし、時計も壊れたりしてるヘボい時計と一緒に放置状態で、なんつーか保存とゆーより放置状態でありまするぅぅ。いーんだよ、それで。






Posted at 10:42 午後     Permalink  

日 - 5月 29, 2005

Macintosh SE30発掘


古き良き時代の高速マシン

Macintosh SE30が発掘されたので、動かしてみました。
68030マシンですよ。PowerPCなんて出てくる以前のマシンですよ。てゆーか十年以上電源入れずに放置していたマシンなんです(というか、自分の側にあったのに存在自体を忘れてたのデス<非道)が、果たしてぶっ壊れてないのか?ADBポート(Apple Desktop Busだよ、レガシーデバイスとかゆーか?S端子ケーブルで代用出来るスグレモノなのに)にキーボードとマウスをつないで、純正のACケーブルがなかったのでこれまた今は亡きNeXTの社名ロゴ入り真っ黒ACケーブルをつないで、電源オンしたら...何事もなく起動しました。すげーな、ハッピーマックですよ。マックがにこにこしてた時代のマシンですよ。そしてシロクロ2色画面ですよ!!モノクロって奇麗だなぁ。

アイコンがピコピコ並びながら、さくさくと起動します。iMac G4でMacOS XのClassic起動してるときのような「ちょーっと待っててね」感は微塵もありません。デスクトップもモノクロの美学とゆーかとにかく奇麗。そー、当時はこのデスクトップというかファインダー画面というかこの画面だけでも延々遊んでたんですよね。馬鹿ですね、マックユーザは...ってゆーかこのカッコイイGUIに触れることが素敵な体験だったわけです。 メニューも早いなぁ。なんだかMac OS XのGUIよりキビキビテキパキ動くよーな気がするのは気のせいか??

とりあえずDungeon of Doomを見つけたので、起動して遊んでみました。おもしれーーー!!そして、とにかく早い!!古いマックっていうと遅いってのがなんつーか共通認識だと思うのですが、なんですか、まるで遅さを感じさせませんよ。てゆーか早いですよ。





ホントに存在を忘れて周辺機器やらソフトやらを全て処分済みな自分ですが、SCSIのMOとかCDドライブとか、LANカードとか欲しいなぁ。

Posted at 09:31 午前     Permalink  

水 - 5月 5, 2004

Dungeon of Doom


プリティーなRogueクローンゲーム

当初シェアウエア、その後商品化されたゲームですね。
ローグ(Rogue)てのは知らない人は確実にいないと思いますが、UNIX上で稼働してたテキストベース(文字&記号のみ!!)のロールプレイングゲームです。「@」が自分で、上下左右キーでスクリーン上の迷路を動いて怪獣をやっつけながら進むとゆー、まーコンピュータといえばUNIXという時代で、CPUの稼働時間がそのまま使用料金に連動していた時代の、ほとんど全てのCPU稼働時間はこのローグに費やされていたとゆーものです。とゆーことで、コンピュータというのは戦争での弾道を算出するために生まれ、ゲームをするため(だけ)に進化してきたものなので、その辺よろしくデス。(もの凄く誇張あり)

ということで、いろいろなプラットホームに移植されまくり、マックにも移植された1つがこのDungeon of Doomであります。マックなのでテキストベースでなく、アイコンベースです、モノクロだけど。自分もアイテムももの凄い種類のモンスターも全部小さいかわいいアイコンにつき、なかなかかわいいゲーム画面になっております。最初に戦士(つかえる)とか宝石商(つかえない)とか職業を決めて毎回自動生成される迷路に乗り込み、最深部にある宝珠を取りに行くとゆーストーリーです。ありふれたストーリーですが、この辺を元祖と認識しなさい。で、マウス操作も可能。これにより1ボタンマウスしか使えないRest of usなマックユーザでも超絶高速でゲームを進めることが可能(当時のマックで高速に動くゲームって凄いと思う)。高速にどんどん迷路を開拓し、高速にアイテムを取りまくり、高速にモンスターをやっつけ、ちょと無茶をして高速にやられ、高速にやりなおし...なんてのを一晩中高速にぶっこきつづけていたマックユーザも相当数いたハズ。てゆーか、自分はやりこんでました。泊まりにいくのにコレをやりたいがために512Kマックを専用ケースに入れて肩がけし、バイクで繰り出すとゆーよーなこともしました。そーデス、ゲームは人間に無茶な行動を取らせます。

このゲームは当初シェアウエアとして登場し、ずいぶん経ってからDungeon Revealedという名前で商品化されました。商品化されたときに使用フォントが雰囲気のあるフォントに変わって、それが災いして画面がちょっと見にくくなっちゃったんだよなぁ...と、今文句言ってどーーする??(笑)

Posted at 12:08 午後     Permalink  

シムシティ


当時のマックならではの面白い変なソフト&ハードがあったよなぁ。
そんなSo Farな懐古主義にもほどがある不定期連載コラム。(ホントに不定期過ぎ)

いろーんなプラットホームに移植されまくって有名過ぎにつき、知らない人は皆無であろー市長さんシミュレーション&街作りゲーム。マック版として初登場したときは超絶ビックリでしたよ、勝手に街が育っていくんだもん。何も無い土地に発電所や工場、商業地、住居とか置くとその街が街として機能し始め、雇用、税金、犯罪、教育などの街としての住み良さ値(なんだそりゃ)で市民が増えたり減ったりして、それに連動してさらに街が発展 or 退廃をくり返して行くとゆーゲームでありんす。この街の栄枯盛衰の様がとても楽しく、勝手に画面内の区画がもりもりっと変わっていくわけね。ちんまりした町工場密集地帯みたいなアイコンが、とたんにでかい工場に変わって煙をもくもく出してみたり、ちまちました一軒家地帯ももりもりっと巨大マンションになってみたり、さらにその逆にもりもりと人がいなくなってゴーストタウンになっちゃったりってな動きが楽しかったわけです。発電所からの電線が通っていないと電気が来なくてその区画がよろよろになっちゃうとか、道路がないと工場とかに通えないとか、道路が少ないと渋滞で困るとか、道路は維持費をかけておかないと年月と共にぼろぼろになっていっちゃうとか、なんか行政の(必要な)お金の使い方がかるーく判って面白い...とゆーか、その予算配分を考えるのも自分の仕事なわけ、市長さんだし。さらに税収を得るのも自分の仕事。住民税を上げると案の定うざい市民の不平不満の声が上がってくるわけですよ、貴様らのためにやってるのに!!で、不平不満が高まってくると市民がどんどん出て行っちゃうわけですよ、もーー勝手にしろよってゆーか!!で、このゲームの点数にあたるのが市民の数なわけで、この市民数に応じて街のランクが変わっていきます。もーー市長さんのジレンマ体感ゲームって感じ。そりゃ税金が安くて、道路渋滞もなくて、治安もよくて、学校や公園がちゃんと整っていて、雇用もちゃんとあって、公害も少ないところに住みたいのは判りますが、市民ってば何もしないくせに、相当無茶言ってない?あ、それ、もしかして普段の自分のこと?

シムシティのさらなる面白イベントとしては災害があります。天変地異ね。洪水、火事、地震などに加えて初代シムシティで一番キョーレツだったのがメルトダウン。発電所も各種設営できるのですが、一番高くて一番公害がないのが原始力発電所。設置費用が強烈に高いのですが、これを置くと発電量、公害などが相当助かります...が、メルトダウンを起こす危険性があるデスよ。これが発生すると当たり一面に放射能マークのアイコンを飛び散らせて発電所が燃えます。で、放射能アイコンがあるところは相当長期間整地できないんですよ、そりゃ危険だもんね、どーー考えても。もーこれが起こると実質上やり直しって感じですよ。そんなゲームのように気軽にリセットできない今のニッポン、大丈夫ですか?あと、災害にモンスターってのがあって、あるとき唐突にやってくるのがどー見てもゴジラ(笑)。考えなしにやってきて適当に街を踏みつぶしながら通り過ぎていきます。踏みつぶされれば火事になったりしちゃうわけで、これももの凄い困ったちゃん。

で、当時の都市伝説を思い出したので書く。市民数に応じて街のランクが上がっていくわけですが、メトロポリスを超えて最上級のメガロポリスに達すると、住民が一斉に他の惑星に移住するようになり、円盤で行き来を始めるようになるとゆーーもので、それが実質上のエンディングだとゆーーものでした。それはないだろーとか思いつつも、その伝説はちょっと素敵だなぁと思って、その後自作スタックウェア(ハイパーカード参照)としてリリースしたシムシティパロディな「さるしてぃ」(街のあちこちでサルが進化するだけの馬鹿スタックだだ)では進化の最終形態で円盤で飛び立つとゆーのを入れました。(確か入れたと思う)

えと、その後いろいろリリースされシムシリーズなんてシリーズ化されていったわけですが、その中で個人的に一番面白かったのが、モノクロマック用に最初に出たシムシティだと思うわけです、はい。街を真上から見下ろしたミニマルな画面は、単純なマックユーザ(をぃ!!)としてはとても判りやすいGUIだったなぁと思うわけ。その後のシミュレーション性が強くなり、パラメータもどんどん複雑になっていったシリーズにはない判りやすさがあったと思うわけで、これ、重要。ゲームのハマリやすさは判りやすさに連動します(同時期に出たテトリスを見れ)。

各地の市長さんは自分の任務の大変さを体感させるために、是非、マックとシムシティを各家庭に配れと言いたい。そして市民は是非シムシティをせよ。(命令)

Posted at 11:39 午前     Permalink  







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